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死ね

単純を明快なことを


論理的に責め立てるということが


ヒトにとって
どれだけの影響を与えるのか全くわかっていない



おかあさんの言う通り
ただの子ども




抱き締められたいだけ


そうだねと言えないその弱さ大嫌いだよ



一生連絡取りたくないくらい
大嫌い



議論なんて嫌いだよ





私は感覚で生きていたいだけ



わかってないと
好きに言うが良い




地位や名誉
興味なさすぎる



私は孤独だと訴えただけ



伝わらなくて構わない




他に伝えたいヒトが
沢山いるものね

comment

No title

今回は、何かあったのかな?と
思ってしまうような過激なテーマですね。

>論理的に責め立てるということが
>ヒトにとって
>どれだけの影響を与えるのか全くわかっていない

またクリスチャンとしての話になってしまいますが
信仰は理屈ではないのに教義・教理で
「悔い改めなさい」を強引に繰り返されて、
あるクリスチャンは辟易として去って
悔い改めるどころではなかった
という話を聞いたことがあります。
私、その気持ち、とてもよく分かる・・・。

>議論なんて嫌いだよ
>私は感覚で生きていたいだけ

私は学問にも論理にも専門分野を持たない人間です。
そういうのは苦手だったのですが、
あることが切っ掛けで、私に向かない論理的思考
というものに妙に興味を持ってしまうようになって、
前にも書いたけれど私は別のブログで
議論のようなことをしています。
哲学・神学・信仰についてのブログなのですが、
私は元々情緒的な人間なので、
教義的論理でぐいぐい押してこられると感じて
「押し付けがましい」と言ってしまったことがあります。
幸いそのブログは、かなり寛容なブログで、
大方、私のような素人でも相手にしてもらえて、
批判したりされたりはありますが、今のところ、
論理的な言葉というものに苦労しながらも、
やめずに続けています。

由羽様のブログが寛容かどうかは分かりませんが・・・
理屈を押し付けてくるブログではなさそうなので
私にとっては幾分か居心地がよいです。(苦笑・微笑)
気力と言葉が私に残っているあいだは
投稿を続けたいと願っています。といっても私が
知っているブログやサイトが、いつのまにか
閉鎖になったり更新がなくなったりで
寂しい思いをすることも多くて、しかも書いていた人が
いつどうなったかさえ分からないのがネットの世界です。
由羽様も、私も、どうなってゆくのか分かりませんし、
一期一会といいますが、その日その日の関わりを
大事にしていきたいと思うしかないです。
お元気でという挨拶も、元気かどうかを問うのも、
問われるのも違うような気がしていますが、
せめて今日一日が
少しでも好い日でありますように。では。

No title

>単純を明快なことを
>論理的に責め立てるということが
>ヒトにとって
>どれだけの影響を与えるのか全くわかっていない
>おかあさんの言う通り
>ただの子ども

>一生連絡取りたくないくらい
>大嫌い

これらのセンテンスに
どのような文脈があり、どのような関係があり、
どのような状況があるのか私には分からないけれど
思い出したことがあるのでコメント入れておきます。
母についての私の個人的な経験に過ぎませんが・・・

子が大人になり、さらに私のように年を取り、
母親が年を取るに連れて、さらに
当然ながら私より老いていけばいくほど、
母親の論理はとても単純になってゆく
と感じることがあります。
その論理の基準が、まるで社会通念か
世間体大明神?信仰とでも言いたくなるような、
論理というより反射といったほうがいいような
当たり前のことしか言わなくなるのです。

だんだん私の母が、人生経験はあるけれど、
新しい学習をするということが困難というより
不可能になってゆくような気さえします。

私の母は高齢のため心身ともに衰えています。
よく忘れます。ガスに火を入れたことさえ。
よく皿などを割ってしまいます。
「だめねぇ・・・」「ボケたねぇ・・・」
と自分では言うのですが、
それを踏まえて何か具体的な対策をとる
ということが出来なくなっています。
こんな感じで認知症になってゆくのか
と思ったりもします。
また
私が何か悩みについて言って
こうして欲しいみたいなことを言うと
母はこうしなさいと言う(それが出来ていれば私は
こうなってはいないという当たり前のことです)。
そのことについて、さらに、母に言い返すと、
母は意地になってまた返してきて・・・
お互い「何故分からないんだ」という気持ちで
応酬を繰り返すことになって・・・結局、
母はもう私を
受け入れる心の容量の限界に達したかのように
感情的になってきて、泣き出す有り様でした。
母は泣き、私は前にも増してイライラする
という結果でした。

そういうことがあって以来、私は
母に何かを相談するということを諦めました。
理解してもらうということは無理なんだと
思うことにしました。

子が若く母親が中年くらいなら、
まだ学習能力があって
話し合う余地もあって、状況は
違うのかもしれませんが・・・
いや反対に、それくらいの歳だったら、
母親が老いを自覚していない分、
もっと激しいものになるかもしれません。

その後も私の母は
「男性の更年期障害もある」とか、
「鬱病は治る」という類の
パンフレットを持ってきたり、
「治ったら、あるいは治るためには、
こうしたらいい・・・」といったことを
言うことがあります。それに対して私は「もう
約20年抗うつ薬を飲んでいたのに・・・私は私で
衰えてきているのに」という気持ちで、
イラッときたり、チクチク刺されるような感じ
を受けるだけですが・・・私は私で、口には出さず
ボケるというか、とぼけるというか、
パンフも言葉も、ぼうっと、受け取って
そのまま、ため息と一緒に、
ポイと捨てるような感じの現状です。

母親の、単純と思えても愚かとさえ思えても、
ときには、迷惑とさえ思えても、
愛情の絡みというものは、どうにもならないまま
一生ついてまわるようです。せいぜい
苦笑いで済ませるしかないのかな・・・
と感じる今日この頃です。
また私の変な文章で、
これは主に亡父について書いたものの一部ですが
・・・・・・・・・
母を殺し
父を殺し
唇を切れるほど噛み締めながら
一歩一歩
絡みつく情念の悔いと釘を
怒気の足裏に踏み拉(ひし)ぎ
幾千年の坂を登る

--------------------------------
もちろん本当に殺す殺したと言う話しではないです。
父は既に死んだし、母が死んだとき
私は全く違う思いを抱いて茫然とするかもしれない。
泣くだろうか、泣けるだろうか、私はどうなるだろうか
という不安の中で、どうにもならなくても
断ちがたいのが親子の関係です。生きている間は、
どう話しても分かってくれない人として
付き合っていくしかないのかな・・・
という親不孝の話しでした。それこそ私の独り言で、
由羽様にとっては迷惑なだけかもしれませんが。では。

No title

>単純を明快なことを
>論理的に責め立てるということが
>ヒトにとって
>どれだけの影響を与えるのか全くわかっていない
>おかあさんの言う通り
>ただの子ども

>一生連絡取りたくないくらい
>大嫌い

これらのセンテンスに
どのような文脈があり、どのような関係があり、
どのような状況があるのか私には分からないけれど
思い出したことがあるのでコメント入れておきます。
母についての私の個人的な経験に過ぎませんが・・・

子が大人になり、さらに私のように年を取り、
母親が年を取るに連れて、さらに
当然ながら私より老いていけばいくほど、
母親の論理はとても単純になってゆく
と感じることがあります。
その論理の基準が、まるで社会通念か
世間体大明神?信仰とでも言いたくなるような、
論理というより反射といったほうがいいような
当たり前のことしか言わなくなるのです。

だんだん私の母が、人生経験はあるけれど、
新しい学習をするということが困難というより
不可能になってゆくような気さえします。

私の母は高齢のため心身ともに衰えています。
よく忘れます。ガスに火を入れたことさえ。
よく皿などを割ってしまいます。
「だめねぇ・・・」「ボケたねぇ・・・」
と自分では言うのですが、
それを踏まえて何か具体的な対策をとる
ということが出来なくなっています。
こんな感じで認知症になってゆくのか
と思ったりもします。
また
私が何か悩みについて言って
こうして欲しいみたいなことを言うと
母はこうしなさいと言う(それが出来ていれば私は
こうなってはいないという当たり前のことです)。
そのことについて、さらに、母に言い返すと、
母は意地になってまた返してきて・・・
お互い「何故分からないんだ」という気持ちで
応酬を繰り返すことになって・・・結局、
母はもう私を
受け入れる心の容量の限界に達したかのように
感情的になってきて、泣き出す有り様でした。
母は泣き、私は前にも増してイライラする
という結果でした。

そういうことがあって以来、私は
母に何かを相談するということを諦めました。
理解してもらうということは無理なんだと
思うことにしました。

子が若く母親が中年くらいなら、
まだ学習能力があって
話し合う余地もあって、状況は
違うのかもしれませんが・・・
いや反対に、それくらいの歳だったら、
母親が老いを自覚していない分、
もっと激しいものになるかもしれません。

その後も私の母は
「男性の更年期障害もある」とか、
「鬱病は治る」という類の
パンフレットを持ってきたり、
「治ったら、あるいは治るためには、
こうしたらいい・・・」といったことを
言うことがあります。それに対して私は「もう
約20年抗うつ薬を飲んでいたのに・・・私は私で
衰えてきているのに」という気持ちで、
イラッときたり、チクチク刺されるような感じ
を受けるだけですが・・・私は私で、口には出さず
ボケるというか、とぼけるというか、
パンフも言葉も、ぼうっと、受け取って
そのまま、ため息と一緒に、
ポイと捨てるような感じの現状です。

母親の、単純と思えても愚かとさえ思えても、
ときには、迷惑とさえ思えても、
愛情の絡みというものは、どうにもならないまま
一生ついてまわるようです。せいぜい
苦笑いで済ませるしかないのかな・・・
と感じる今日この頃です。
また私の変な文章で、
これは主に亡父について書いたものの一部ですが
・・・・・・・・・
母を死なせ
父を死なせ
唇を切れるほど噛み締めながら
一歩一歩
絡みつく情念の悔いと釘を
怒気の足裏に踏み拉(ひし)ぎ
幾千年の坂を登る

--------------------------------
死後の地獄のような設定になっていますが・・・
もちろん本当に殺す殺したと言う話しではないです。
父は既に死んだし、母が死んだとき
私は全く違う思いを抱いて茫然とするかもしれない。
泣くだろうか、泣けるだろうか、私はどうなるだろうか
という不安の中で、どうにもならなくても
断ちがたいのが親子の関係です。生きている間は、
どう話しても分かってくれない人として
付き合っていくしかないのかな・・・
という親不孝の話しでした。それこそ私の独り言で、
由羽様にとっては迷惑なだけかもしれませんが。では。

No title

>単純を明快なことを
>論理的に責め立てるということが
>ヒトにとって
>どれだけの影響を与えるのか全くわかっていない
>おかあさんの言う通り
>ただの子ども

>一生連絡取りたくないくらい
>大嫌い

これらのセンテンスに
どのような文脈があり、どのような関係があり、
どのような状況があるのか私には分からないけれど
思い出したことがあるのでコメント入れておきます。
母についての私の個人的な経験に過ぎませんが・・・

子が大人になり、さらに私のように年を取り、
母親が年を取るに連れて、さらに
当然ながら私より老いていけばいくほど、
母親の論理はとても単純になってゆく
と感じることがあります。
その論理の基準が、まるで社会通念か
世間体大明神?信仰とでも言いたくなるような、
論理というより反射といったほうがいいような
当たり前のことしか言わなくなるのです。

だんだん私の母が、人生経験はあるけれど、
新しい学習をするということが困難というより
不可能になってゆくような気さえします。

私の母は高齢のため心身ともに衰えています。
よく忘れます。ガスに火を入れたことさえ。
よく皿などを割ってしまいます。
「だめねぇ・・・」「ボケたねぇ・・・」
と自分では言うのですが、
それを踏まえて何か具体的な対策をとる
ということが出来なくなっています。
こんな感じで認知症になってゆくのか
と思ったりもします。
また
私が何か悩みについて言って
こうして欲しいみたいなことを言うと
母はこうしなさいと言う(それが出来ていれば私は
こうなってはいないという当たり前のことです)。
そのことについて、さらに、母に言い返すと、
母は意地になってまた返してきて・・・
お互い「何故分からないんだ」という気持ちで
応酬を繰り返すことになって・・・結局、
母はもう私を
受け入れる心の容量の限界に達したかのように
感情的になってきて、泣き出す有り様でした。
母は泣き、私は前にも増してイライラする
という結果でした。

そういうことがあって以来、私は
母に何かを相談するということを諦めました。
理解してもらうということは無理なんだと
思うことにしました。

子が若く母親が中年くらいなら、
まだ学習能力があって
話し合う余地もあって、状況は
違うのかもしれませんが・・・
いや反対に、それくらいの歳だったら、
母親が老いを自覚していない分、
もっと激しいものになるかもしれません。

その後も私の母は
「男性の更年期障害もある」とか、
「鬱病は治る」という類の
パンフレットを持ってきたり、
「治ったら、あるいは治るためには、
こうしたらいい・・・」といったことを
言うことがあります。それに対して私は「もう
約20年抗うつ薬を飲んでいたのに・・・私は私で
衰えてきているのに」という気持ちで、
イラッときたり、チクチク刺されるような感じ
を受けるだけですが・・・私は私で、口には出さず
ボケるというか、とぼけるというか、
パンフも言葉も、ぼうっと、受け取って
そのまま、ため息と一緒に、
ポイと捨てるような感じの現状です。

母親の、単純と思えても愚かとさえ思えても、
ときには、迷惑とさえ思えても、
愛情の絡みというものは、どうにもならないまま
一生ついてまわるようです。せいぜい
苦笑いで済ませるしかないのかな・・・
と感じる今日この頃です。
また私の変な文章で、
これは主に亡父について書いたものの一部ですが
(スパム判定が出たので一部改めました)
・・・・・・・・・
父が死んで
母が死んだ後
長い永い坂を
唇を切れるほど噛み締めながら
一歩一歩
絡みつく情念の悔いと釘を
怒気の足裏に踏み拉(ひし)ぎ
幾千年の坂を登る

--------------------------------
死後の地獄のような設定になっていますが・・・
もちろん本当に殺す殺したと言う話しではないです。
父は既に死んだし、母が死んだとき
私は全く違う思いを抱いて茫然とするかもしれない。
泣くだろうか、泣けるだろうか、私はどうなるだろうか
という不安の中で、どうにもならなくても
断ちがたいのが親子の関係です。生きている間は、
どう話しても分かってくれない人として
付き合っていくしかないのかな・・・
という親不孝の話しでした。それこそ私の独り言で、
由羽様にとっては迷惑なだけかもしれませんが。では。

No title

>単純を明快なことを
>論理的に責め立てるということが
>ヒトにとって
>どれだけの影響を与えるのか全くわかっていない
>おかあさんの言う通り
>ただの子ども

>一生連絡取りたくないくらい
>大嫌い

これらのセンテンスに
どのような文脈があり、どのような関係があり、
どのような状況があるのか私には分からないけれど
思い出したことがあるのでコメント入れておきます。
母についての私の個人的な経験に過ぎませんが・・・

子が大人になり、さらに私のように年を取り、
母親が年を取るに連れて、さらに
当然ながら私より老いていけばいくほど、
母親の論理はとても単純になってゆく
と感じることがあります。
その論理の基準が、まるで社会通念か
世間体大明神?信仰とでも言いたくなるような、
論理というより反射といったほうがいいような
当たり前のことしか言わなくなるのです。

だんだん私の母が、人生経験はあるけれど、
新しい学習をするということが困難というより
不可能になってゆくような気さえします。

私の母は高齢のため心身ともに衰えています。
よく忘れます。ガスに火を入れたことさえ。
よく皿などを割ってしまいます。
「だめねぇ・・・」「ボケたねぇ・・・」
と自分では言うのですが、
それを踏まえて何か具体的な対策をとる
ということが出来なくなっています。
こんな感じで認知症になってゆくのか
と思ったりもします。
また
私が何か悩みについて言って
こうして欲しいみたいなことを言うと
母はこうしなさいと言う(それが出来ていれば私は
こうなってはいないという当たり前のことです)。
そのことについて、さらに、母に言い返すと、
母は意地になってまた返してきて・・・
お互い「何故分からないんだ」という気持ちで
応酬を繰り返すことになって・・・結局、
母はもう私を
受け入れる心の容量の限界に達したかのように
感情的になってきて、泣き出す有り様でした。
母は泣き、私は前にも増してイライラする
という結果でした。

そういうことがあって以来、私は
母に何かを相談するということを諦めました。
理解してもらうということは無理なんだと
思うことにしました。

子が若く母親が中年くらいなら、
まだ学習能力があって
話し合う余地もあって、状況は
違うのかもしれませんが・・・
いや反対に、それくらいの歳だったら、
母親が老いを自覚していない分、
もっと激しいものになるかもしれません。

その後も私の母は
「男性の更年期障害もある」とか、
「鬱病は治る」という類の
パンフレットを持ってきたり、
「治ったら、あるいは治るためには、
こうしたらいい・・・」といったことを
言うことがあります。それに対して私は「もう
約20年抗うつ薬を飲んでいたのに・・・私は私で
衰えてきているのに」という気持ちで、
イラッときたり、チクチク刺されるような感じ
を受けるだけですが・・・私は私で、口には出さず
ボケるというか、とぼけるというか、
パンフも言葉も、ぼうっと、受け取って
そのまま、ため息と一緒に、
ポイと捨てるような感じの現状です。

母親の、単純と思えても愚かとさえ思えても、
ときには、迷惑とさえ思えても、
愛情の絡みというものは、どうにもならないまま
一生ついてまわるようです。せいぜい
苦笑いで済ませるしかないのかな・・・
と感じる今日この頃です。
また私の変な文章で、
これは主に亡父について書いたものの一部ですが
(スパム判定が出たので一部改めました)
・・・・・・・・・
父が死んで
母が死んだ後
長い永い坂を
唇を切れるほど噛み締めながら
一歩一歩
絡みつく情念の悔いと釘を
怒気の足裏に踏み拉(ひし)ぎ
幾千年の坂を登る

--------------------------------
私が死んだ後の地獄のような設定になっていますが・・・
もちろん本当に殺す殺したと言う話しではないです。
父は既に死んだし、母が死んだとき
私は全く違う思いを抱いて茫然とするかもしれない。
泣くだろうか、泣けるだろうか、私はどうなるだろうか
という不安の中で、どうにもならなくても
断ちがたいのが親子の関係です。生きている間は、
どう話しても分かってくれない人として
付き合っていくしかないのかな・・・
という親不孝の話しでした。それこそ私の独り言で、
由羽様にとっては迷惑なだけかもしれませんが。では。

No title

>単純を明快なことを
>論理的に責め立てるということが
>ヒトにとって
>どれだけの影響を与えるのか全くわかっていない
>おかあさんの言う通り
>ただの子ども

>一生連絡取りたくないくらい
>大嫌い

これらのセンテンスに
どのような文脈があり、どのような関係があり、
どのような状況があるのか私には分からないけれど
思い出したことがあるのでコメント入れておきます。
母についての私の個人的な経験に過ぎませんが・・・

子が大人になり、さらに私のように年を取り、
母親が年を取るに連れて、さらに
当然ながら私より老いていけばいくほど、
母親の論理はとても単純になってゆく
と感じることがあります。
その論理の基準が、まるで社会通念か
世間体大明神?信仰とでも言いたくなるような、
論理というより反射といったほうがいいような
当たり前のことしか言わなくなるのです。

だんだん私の母が、人生経験はあるけれど、
新しい学習をするということが困難というより
不可能になってゆくような気さえします。

私の母は高齢のため心身ともに衰えています。
よく忘れます。ガスに火を入れたことさえ。
よく皿などを割ってしまいます。
「だめねぇ・・・」「ボケたねぇ・・・」
と自分では言うのですが、
それを踏まえて何か具体的な対策をとる
ということが出来なくなっています。
こんな感じで認知症になってゆくのか
と思ったりもします。
また
私が何か悩みについて言って
こうして欲しいみたいなことを言うと
母はこうしなさいと言う(それが出来ていれば私は
こうなってはいないという当たり前のことです)。
そのことについて、さらに、母に言い返すと、
母は意地になってまた返してきて・・・
お互い「何故分からないんだ」という気持ちで
応酬を繰り返すことになって・・・結局、
母はもう私を
受け入れる心の容量の限界に達したかのように
感情的になってきて、泣き出す有り様でした。
母は泣き、私は前にも増してイライラする
という結果でした。

そういうことがあって以来、私は
母に何かを相談するということを諦めました。
理解してもらうということは無理なんだと
思うことにしました。

子が若く母親が中年くらいなら、
まだ学習能力があって
話し合う余地もあって、状況は
違うのかもしれませんが・・・
いや反対に、それくらいの歳だったら、
母親が老いを自覚していない分、
もっと激しいものになるかもしれません。

その後も私の母は
「男性の更年期障害もある」とか、
「鬱病は治る」という類の
パンフレットを持ってきたり、
「治ったら、あるいは治るためには、
こうしたらいい・・・」といったことを
言うことがあります。それに対して私は「もう
約20年抗うつ薬を飲んでいたのに・・・私は私で
衰えてきているのに」という気持ちで、
イラッときたり、チクチク刺されるような感じ
を受けるだけですが・・・私は私で、口には出さず
ボケるというか、とぼけるというか、
パンフも言葉も、ぼうっと、受け取って
そのまま、ため息と一緒に、
ポイと捨てるような感じの現状です。

母親の、単純と思えても愚かとさえ思えても、
ときには、迷惑とさえ思えても、
愛情の絡みというものは、どうにもならないまま
一生ついてまわるようです。せいぜい
苦笑いで済ませるしかないのかな・・・
と感じる今日この頃です。
また私の変な文章で、
これは主に亡父について書いたものの一部ですが
(スパム判定が出たので一部改めました)
・・・・・・・・・
父が死んで
母が死んだ後
長い永い坂を
唇を切れるほど噛み締めながら
一歩一歩
絡みつく情念の悔いと釘を
怒気の足裏に踏み拉(ひし)ぎ
幾千年の坂を登る

--------------------------------
あの世というか、
私が死んだ後の世界のような設定になっていますが・・・
もちろん本当に殺す殺したと言う話しではないです。
父は既に死んだし、母が死んだとき
私は全く違う思いを抱いて茫然とするかもしれない。
泣くだろうか、泣けるだろうか、私はどうなるだろうか
という不安の中で、どうにもならなくても
断ちがたいのが親子の関係です。生きている間は、
どう話しても分かってくれない人として
付き合っていくしかないのかな・・・
という親不孝の話しでした。それこそ私の独り言で、
由羽様にとっては迷惑なだけかもしれませんが。では。

No title

>単純を明快なことを
>論理的に責め立てるということが
>ヒトにとって
>どれだけの影響を与えるのか全くわかっていない
>おかあさんの言う通り
>ただの子ども

>一生連絡取りたくないくらい
>大嫌い

これらのセンテンスに
どのような文脈があり、どのような関係があり、
どのような状況があるのか私には分からないけれど
思い出したことがあるのでコメント入れておきます。
母についての私の個人的な経験に過ぎませんが・・・

子が大人になり、さらに私のように年を取り、
母親が年を取るに連れて、さらに
当然ながら私より老いていけばいくほど、
母親の論理はとても単純になってゆく
と感じることがあります。
その論理の基準が、まるで社会通念か
世間体大明神?信仰とでも言いたくなるような、
論理というより反射といったほうがいいような
当たり前のことしか言わなくなるのです。

だんだん私の母が、人生経験はあるけれど、
新しい学習をするということが困難というより
不可能になってゆくような気さえします。

私の母は高齢のため心身ともに衰えています。
よく忘れます。ガスに火を入れたことさえ。
よく皿などを割ってしまいます。
「だめねぇ・・・」「ボケたねぇ・・・」
と自分では言うのですが、
それを踏まえて何か具体的な対策をとる
ということが出来なくなっています。
こんな感じで認知症になってゆくのか
と思ったりもします。
また
私が何か悩みについて言って
こうして欲しいみたいなことを言うと
母はこうしなさいと言う(それが出来ていれば私は
こうなってはいないという当たり前のことです)。
そのことについて、さらに、母に言い返すと、
母は意地になってまた返してきて・・・
お互い「何故分からないんだ」という気持ちで
応酬を繰り返すことになって・・・結局、
母はもう私を
受け入れる心の容量の限界に達したかのように
感情的になってきて、泣き出す有り様でした。
母は泣き、私は前にも増してイライラする
という結果でした。

そういうことがあって以来、私は
母に何かを相談するということを諦めました。
理解してもらうということは無理なんだと
思うことにしました。

子が若く母親が中年くらいなら、
まだ学習能力があって
話し合う余地もあって、状況は
違うのかもしれませんが・・・
いや反対に、それくらいの歳だったら、
母親が老いを自覚していない分、
もっと激しいものになるかもしれません。

その後も私の母は
「男性の更年期障害もある」とか、
「鬱病は治る」という類の
パンフレットを持ってきたり、
「治ったら、あるいは治るためには、
こうしたらいい・・・」といったことを
言うことがあります。それに対して私は「もう
約20年抗うつ薬を飲んでいたのに・・・私は私で
衰えてきているのに」という気持ちで、
イラッときたり、チクチク刺されるような感じ
を受けるだけですが・・・私は私で、口には出さず
ボケるというか、とぼけるというか、
パンフも言葉も、ぼうっと、受け取って
そのまま、ため息と一緒に、
ポイと捨てるような感じの現状です。

母親の、単純と思えても愚かとさえ思えても、
ときには、迷惑とさえ思えても、
愛情の絡みというものは、どうにもならないまま
一生ついてまわるようです。せいぜい
苦笑いで済ませるしかないのかな・・・
と感じる今日この頃です。
また私の変な文章で、
これは主に亡父について書いたものの一部ですが
(スパム判定が出たので一部改めました)
・・・・・・・・・
長い永い坂を
唇を切れるほど噛み締めながら
一歩一歩
絡みつく情念の悔いと釘(くぎ)を
怒気の足裏に踏み拉(ひし)ぎ
幾千年の坂を登る

--------------------------------
まるで、あの世のような設定になっていますが・・・
父は既に死んだし、母が死んだとき
私は全く違う思いを抱いて茫然とするかもしれない。
泣くだろうか、泣けるだろうか、私はどうなるだろうか
という不安の中で、どうにもならなくても
断ちがたいのが親子の関係です。生きている間は、
どう話しても分かってくれない人として
付き合っていくしかないのかな・・・
という親不孝の話しでした。それこそ私の独り言で、
由羽様にとっては迷惑なだけかもしれません。では。

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プロフィール

由羽

Author:由羽
由羽(ゆう)です。
想ったことを想いのままに書きます。

由羽の心のなかよ。
どうぞ。
興味津々で覗いてください。
そしてそこのあなたは今何を想いましたか?

その一瞬の考える「間」
そのとき、きっと私とあなたは出会った意味があったのですね。


これが私の世界観。

うお座のB型

好きな食べ物
カニクリームコロッケ
嫌いな食べ物
しいたけ
好きなサックス奏者
ジャンイブフルモー
好きな俳優
美輪明宏
好きなアーティスト
浜崎あゆみ
好きな芸能人
木村拓哉
尊敬する人
浜崎あゆみ

尊敬する理由
自分をしっかり持って生きているから

好きな音楽
エルザの大聖堂への行進:ワーグナー
蝶々夫人:プッチーニ
ダフニスとクローエ:ラヴェル
ダッタン人の踊り:ボロディン
スペイン狂詩曲:ラヴェル
ローマの3部作:レスピーギ
海の男たちの歌:スミス
カンタベリーコラール:ロースト
ブラームスの1番
青銅の騎士:グリエール
剣の舞:ハチャトゥリアン
巨人:マーラー
大地讃頌
HAPPY ENDING:浜崎あゆみ
A Song for xx:浜崎あゆみ
No way to say:浜崎あゆみ
M:浜崎あゆみ
というか浜崎あゆみほぼ全部(笑)

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