☆2010年03月01日(月)02時24分07秒☆
私は
命を縮めてるんだろうか
死を願うくせに
体を壊すのは嫌だ
死ぬのが怖いの
私ね
幸せになりたいんだ
普通の幸せが欲しいんだ
好きなヒトと
恋をして
好きなヒトと
えっちして
好きなヒトと
ケンカして
好きなヒトと
結婚して
好きなヒトの
子ども生んで
…
…
涙があふれて止まらない
普通の幸せが欲しいだけなの
普通の定義なんて
私には無意味なのよ
トキの流れも
運命も残酷すぎて
ヒトはみんな
生まれて死ぬ
もう苦しみはいらないよ
わかったつもりでいますから
こんなんでもわかったつもりでいますから
神様なんて信じない
もしいたら
殴りかかってやるからね
死を願うくせに
体を壊すのは嫌だ
死ぬのが怖いの
私ね
幸せになりたいんだ
普通の幸せが欲しいんだ
好きなヒトと
恋をして
好きなヒトと
えっちして
好きなヒトと
ケンカして
好きなヒトと
結婚して
好きなヒトの
子ども生んで
…
…
涙があふれて止まらない
普通の幸せが欲しいだけなの
普通の定義なんて
私には無意味なのよ
トキの流れも
運命も残酷すぎて
ヒトはみんな
生まれて死ぬ
もう苦しみはいらないよ
わかったつもりでいますから
こんなんでもわかったつもりでいますから
神様なんて信じない
もしいたら
殴りかかってやるからね
No title
ご不快かもしれないが・・・勘違いでも、
全然クリスチャンらしくない私ですが、
由羽様とは関わりを続けていたいものです。
私の言葉と書く意欲が失われてゆくのが残念です。
>死を願うくせに
>死ぬのが怖いの
死ぬときの苦痛が一瞬であっても
私は死ぬのは怖いです。
自分が無になるというのは理解できないから。
こういうことクリスチャンが考えるのは
おかしいらしいです。
>好きなヒトと
>恋をして
>好きなヒトと
>えっちして
>好きなヒトと
>ケンカして
私にとってそれは憧れでしたが、どうやら
手遅れ的に知らずに死んでゆくでしょう。
>トキの流れも
>運命も残酷すぎて
>もう苦しみはいらないよ
>わかったつもりでいますから
>こんなんでもわかったつもりでいますから
私が、ろくでもない男であることは
何十年も掛かって身に沁みてきました。
昨日も分かり、今日も分かりましたが、
これ以上何を分かったらよいのでしょう
と祈ったことが何度もあります。
これがクリスチャンとしての私の祈りなのです。
>神様なんて信じない
>もしいたら
>殴りかかってやるからね
神様は不公平で不平等です
と書いたことがあります。
讃美しますという感謝の祈りより
神も仏もあるものか!という叫びのほうを
神様は熱心に聞いておられるような気がします
と書いたことがあります。
・・・・・・・・・
私は生きるのに向かない
私は宗教に向かない
私は神の国に向かない
私は神を知らない
私は主に仕える水の泡である
と書いたことがあります。
私としては、それが信仰告白のつもりでした。
そういった詩のようなものを
クリスチャンのMLに載せたら
「聖書を最初から最後まで全部読みなさい」
と言われたことがあります。
確かに全部読んではいないのですが
全然読んでないわけではないし・・・(嘆)
何だかずっと空しく遊んでいます。
ずっと昔の私の変な文章「命のほとり」
いのちの
ほとりで
あそぼ
いのちの
のこり火に
手をかざそ
投げられた
ちいさな つぶて
ひとつひとつに
ていねい過ぎるほど
苦しんで
たかぶる神経
その線の果て
なにもかも
むだ
だったのでしょうか
失うものばかり
だったでしょうか
わからないことにさえ
苦しんで
あきらめの
ふちで
こころおきなく
なけるなら
言ってみたい
ことばがあります
もういつ死んでもいいです
もういつ生きてもいいです
いのちのほとりで
あそぼ
------------------------
由羽様の言葉には、
同情とかではなく、勝手に
共感しているところが私にはあるのですが、
なかなか思うことをまとめて書けなくなって
もどかしい限りです。
教会に行かない逸れクリスチャンでした。では。
全然クリスチャンらしくない私ですが、
由羽様とは関わりを続けていたいものです。
私の言葉と書く意欲が失われてゆくのが残念です。
>死を願うくせに
>死ぬのが怖いの
死ぬときの苦痛が一瞬であっても
私は死ぬのは怖いです。
自分が無になるというのは理解できないから。
こういうことクリスチャンが考えるのは
おかしいらしいです。
>好きなヒトと
>恋をして
>好きなヒトと
>えっちして
>好きなヒトと
>ケンカして
私にとってそれは憧れでしたが、どうやら
手遅れ的に知らずに死んでゆくでしょう。
>トキの流れも
>運命も残酷すぎて
>もう苦しみはいらないよ
>わかったつもりでいますから
>こんなんでもわかったつもりでいますから
私が、ろくでもない男であることは
何十年も掛かって身に沁みてきました。
昨日も分かり、今日も分かりましたが、
これ以上何を分かったらよいのでしょう
と祈ったことが何度もあります。
これがクリスチャンとしての私の祈りなのです。
>神様なんて信じない
>もしいたら
>殴りかかってやるからね
神様は不公平で不平等です
と書いたことがあります。
讃美しますという感謝の祈りより
神も仏もあるものか!という叫びのほうを
神様は熱心に聞いておられるような気がします
と書いたことがあります。
・・・・・・・・・
私は生きるのに向かない
私は宗教に向かない
私は神の国に向かない
私は神を知らない
私は主に仕える水の泡である
と書いたことがあります。
私としては、それが信仰告白のつもりでした。
そういった詩のようなものを
クリスチャンのMLに載せたら
「聖書を最初から最後まで全部読みなさい」
と言われたことがあります。
確かに全部読んではいないのですが
全然読んでないわけではないし・・・(嘆)
何だかずっと空しく遊んでいます。
ずっと昔の私の変な文章「命のほとり」
いのちの
ほとりで
あそぼ
いのちの
のこり火に
手をかざそ
投げられた
ちいさな つぶて
ひとつひとつに
ていねい過ぎるほど
苦しんで
たかぶる神経
その線の果て
なにもかも
むだ
だったのでしょうか
失うものばかり
だったでしょうか
わからないことにさえ
苦しんで
あきらめの
ふちで
こころおきなく
なけるなら
言ってみたい
ことばがあります
もういつ死んでもいいです
もういつ生きてもいいです
いのちのほとりで
あそぼ
------------------------
由羽様の言葉には、
同情とかではなく、勝手に
共感しているところが私にはあるのですが、
なかなか思うことをまとめて書けなくなって
もどかしい限りです。
教会に行かない逸れクリスチャンでした。では。
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